聖書: アモス3~5章
主題: 神の家族の本:「預言のことば」
核となるみことば: アモス 1章1、3節
テコアの牧者の一人であったアモスのことば。 ---- 主はこう仰せられる。
旧約聖書の預言の特徴は「主はこう仰せられる」という書き出しで始まることです。これは預言のことばの出所と権威を宣言するものであり、このことばは単に人間からでた敬虔なものではなく、神の威厳ある公告として聞かれ、受け取られるべきものである、ということを世の人々に告げるためでした。預言者が告げることは、たとえて言えばタイムズ紙の社説ではなく、英国バッキンガム宮殿からの布告なのです。
預言者は神になりきって語るのが一般的です。ですから、そこで語られている「私」はほとんどの場合、主ご自身です。預言の中で語られていることは権威があり、先を見通した、直観力のある、思慮に富んだ内容であるにもかかわらず、その内容を共有していない私たちにとっては理解できないところがあります。しかし、旧約聖書と新約聖書が共に私たちに語っているのは、預言の中で語られていることはどんなに不可解であろうとも、モーセ以降イスラエルの歴史の中で実際そのようになっており、その結末も明確に預言された通りになっているということです。預言の内容は通常の洞察から得られるものとか、霊的啓示以上のものがあります。預言が与えられる時は他の場合とはまったく異なるので、人間の語り手は、自分が言っていることは、神が自分に伝えよと言われたメッセージであり、聖なるものとして取り扱われるべきもの、また実際に取り扱わなければならないものである、ということを明確に確信するのです。
預言をする人自身の考える力や主体性は神の啓示を理解し、それを宣べ伝えるために(言葉によると文字によるとを問わず)余すところなく用いられています。が、しかし最終的に書かれた預言、語られた預言はそのまま、誤りのない「主のことば」なのです。使徒の働き 3:18「 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。」聖書が完結するまでは神の命によって立てられた預言者がいたことは確かです。しかし、ローマ 12:6「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。」と、預言することを勧められていますが、この場合は完結した神の啓示の書、聖書を解き明かす賜物であることが想定されます。Ⅱペテロ1:19「また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。」Ⅰコリント14:31 「あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができるのです」とあります。同時にⅠコリント14:1、29「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。--- 預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。」と勧められています。生き方あって語られる預言のことばに注目して下さい。