自分なりに考えます。他者の意見を聞き、自分の考えを分析し、聖書は実は何を伝えたいのかを探ります。旧約の律法と新約の福音との関係を思い出し再考します。気づく事を伝え合います。全体の考えが一つにまとまります。
箴言全体には、具体的にどう振る舞うかまでも繰り返されていることから、生き方に真剣に取り組む先に知恵があるのかもしれません。
生き方の手本を得ようと旧約聖書の「箴言」を読みます。知恵ということばが沢山出てくるので改めて知恵の意味を考えます。知識とは違うとして、知恵とは何なのでしょう。 自分なりに考えます。他者の意見を聞き、自分の考えを分析し、聖書は実は何を伝えたいのかを探ります。旧約の律法と新約の福音との関係を思い出し再考します。気づく事を伝え合います。全体の考えが一つにまとまります。 旧約聖書はへブル語で書かれていたので日本語の知恵とは違う雰囲気をまとっているようです。
箴言全体には、具体的にどう振る舞うかまでも繰り返されていることから、生き方に真剣に取り組む先に知恵があるのかもしれません。
0 Comments
しらとり(白鳥)は/かなし(哀し)からずや/空の青/海のあをにも/染まずただよふ という若山牧水の短歌が似合いそうな田んぼの中のシラサギです。緑と白のコントラストが孤高な生き方を思わせます。人の住まいと程よい距離を取るツバメがいるのでなおさらです。 詩篇25篇に描かれている祈りから考えていると、苦しみに耐えている冷静な信仰者が陥りそうな問題に気づけました。
「私に御顔を向け 私をあわれんでください。私はひとり 苦しんでいます。」 今の私たちの叫びに耳を傾けてくださる父なる神を実感したいものです。 「わたしを覚えてこれを行いなさい。」とのイエス・キリストのことばに合わせて、パンとぶどうの杯を分け合いました。食事の前にひとつのパンを分け、食事の後にぶどう液を飲むスタイルを採っています。キリストとの繋がりを自覚する厳粛ながらも喜びの時です。 十字架に架かるのは呪われた者と認識されていたのに、キリストがそれによって贖いを完成させて旧約聖書のことばが実現しました。このキリストをイメージして発想の出発点とします。
とはいえ、いつの間にか歪んでしまうので「わたしを覚えてこれを行いなさい。」とのことばなのでしょう。心にキリストを据える主の晩餐記念は約二千年間続いています。 卵を温めながらもハネムーン中のツバメが羽休め。今日が主の日(日曜日)とわかっているのかも。なんて思いつつ私たちも羽休め。 創世記40章を読み、皆でシュミット・ケンさんが用意した質問に思考を巡らせていると、幾らでも答えが出て来るのが不思議です。今の考えが全てではありません。正解を出すつもりでいる時にはない発想が新たな知恵となります。
|
アーカイブ
July 2022
カテゴリー |