様々な花があり、好みが人さまざまなように、葬儀もこうあるべしというものではありません。キリスト教式ではその人らしい葬儀で表現することが大切な視点です。
今月に行われたアメリカの親族の葬儀では、故人の思い出を自由に話す時間などが有り、聞いていた家族にとって誇りと励みになったとの紹介がありました。
終わりをどうイメージするかは、自然から知恵を得られそうです。 様々な花があり、好みが人さまざまなように、葬儀もこうあるべしというものではありません。キリスト教式ではその人らしい葬儀で表現することが大切な視点です。 今月に行われたアメリカの親族の葬儀では、故人の思い出を自由に話す時間などが有り、聞いていた家族にとって誇りと励みになったとの紹介がありました。 自分の希望する葬式のあり方を文書に残しておいたらよいのでしょうね。
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聖書の原則を理解した『ささげ物』について考えました。 献金の仕方という話ではありません。 信仰の本質が問われるものだなぁと思いました。 真の豊かさを知り、心の充足感を得たいものです。 まん延防止等重点措置の最中ですが、距離を置いて話す場があるのは嬉しいものです。
震度3の地震も起きましたが、こちらは慣れた感じでやり過ごしました。 久しぶりに来会された御夫妻がいたので、福音が伝わる為に、語るのではなく問いかける事をしてみました。各自が簡潔な質問をして、応答に対してさらに問いかける。 つもりでしたが、こちらが話す時間が長くなるものですね。 「よく聞く」の先に「よく語る」があるみたいです。 皆のおやつを持参して来る方に心がホッとします。
『寒い』なんて言うには早すぎるのですが、校庭の紅葉(モミジ)が紅葉していました。 愛する人からの手紙が届いたら、どんな風に読みますか? どんな内容なのかが気になって急いで全体に目を通し、その後、丁寧に読み返すでしょう。 どこかで時間を取って、一気に聖書を読みたいものです。 聖書全体をざっくり読んでストーリーを理解してから、当面のテーマごとに、聖書箇所を各自であげて話し合う集まりがお勧めです。 考えてみると、人間が考えることが出来るというのは不思議なことです。
本当に心を満足させるのは聖書のことばですから、読むことは大切です。 冷静に学べば、良心の機能が正常に働く期待が持てます。 人格的な存在である人間が、真理規範としての聖書にどう取り組むかを考えています。 「信仰による神の救いのご計画の実現」を確認するための聖書通読です。 『聖書によって神を正しく認識することは、同時に自分を正しく認識すること。』とは、ジャン・カルバンの言葉です。 人格的に受け止める聖書の読み方をしたいものです。 今年はセミの当たり年でしょうか。杉林の中から大音量で響いてきます。時々、ヤマバトの声。夏らしい夏です。
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July 2022
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