創世記の後半のヨセフの物語を振り返りました。全体をひとかたまりで読むと、人間関係について考えさせられます。人とはなぜ、こんなにも不安になるのでしょうか。心の葛藤はずっと続くのですが、神の配慮がありました。摂理という言葉に思い至ります。 落ちては融ける雪だと知っているのか、鳥たちが鳴き声を競っていました。キジ、カラス、ウグイス、ヒヨドリ、ヤマバト、他にも澄んだ声が春を告げています。
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創世記32章を読み、兄エサウに会う前にヤコブは、何を神に取り扱われたのかを問答しました。ずるいことをしながらもなぜか神の祝福がありました。逆にだまされた時には知恵を働かせて利益を得、故郷に帰る前に格闘をしています。ついに、ももの関節を外され謙虚にされました。パウロに与えられた肉体のとげに通じる流れです。 新型コロナウイルスに対しての教会の備えについて、というアメリカのマニュアルが届きました。長い文章の終わりの言葉を掲載します。【新情報を常に得る、必要に応じて行動を変え、必要に応じて礼拝を変更する。】
旧約時代のアブラハムやヤコブの変化と、福音を理解した自分たちに共通するものは何かを問答しました。自ら聖書を読んで、著者の意図をつかんで、実用するなかで、生き方が広がることが大切です。異邦人(エジプト人)や敵対視されていた相手(エサウ)にも通じる価値観が聖書にあります。 アフガニスタンで銃撃されて亡くなった中村哲さんの生き方が話題に上りました。現地の方に対しての同情心が思い上がりだと気づいた事についてです。なぜそう感じたのでしょうか。同じ信仰者として考えを深めたいと思います。
2011年3月11日に東日本大震災が起きました。直後から、停電、断水、市ガスの停止により生活が不便になりました。普通ではない中、市営バスは地震直後にも安定して走っていたので日常を意識できました。三日目に電気が通り、水道は一週間位で使えるようになりました。二週間後に、近くの団地でガスの点火が出来たことが全国ニュースになりました。この神学校を使いながらのボランティアの各チームは自立していて、食事や宿などで現場に迷惑をかけずに手助けするスマートさが際立っていました。教会関係者が日曜日に現地でボランティアを続けながら礼拝するというスタイルは、教会堂があたりまえという発想を変えました。大変だっただけではなく、大切なことに気づかせてくれた三月でした。
3月8日(日)に予定していました合同コンサート礼拝は中止になりました。いこいの汀教会の皆様には、森谷牧師の書簡メッセージを送りますので、各自でお読みください。
この10年で、教会での礼拝が非常事態になったことが三度あります。①2011年3月13日は、『東日本大震災』の直後でしたから、道路状況が悪く、近くに住む方での顔合わせでした。②2014年2月9日は、『大雪』の為に雪かきに時間を取られ、一時間遅れの短縮バージョンでした。その時間、道路から側溝に落ちた通りすがりの車の為に汗を流した方もいました。③2020年3月1日は、『新型コロナウィルス』による肺炎の拡大予防の為に、集まりを控えました。
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July 2022
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