どうやら恐れの無い人はいないみたいで、だからこそ神様を信頼できるのだと納得しました。
そして、恐れを感じるのは想像力が豊かだからとの解釈に発見がありました。
創造主に自分の想像力の主となっていただき、健全で創造的に働くものとなるよう願いました。
恐れってどういうこと?で問答がスタートしました。
どうやら恐れの無い人はいないみたいで、だからこそ神様を信頼できるのだと納得しました。 そして、恐れを感じるのは想像力が豊かだからとの解釈に発見がありました。 創造主に自分の想像力の主となっていただき、健全で創造的に働くものとなるよう願いました。
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福音を理解してクリスチャン生活がスタートします。 どのような変化が起きましたか? 無条件で救われて終わり、ではないのですから、いかに自覚的に次の一歩を踏み出すかが問われています。 久しぶりの来会者も熱心に問答礼拝に参加してくださって、有意義なひと時でした。 能登半島にボランティアに行ってきたジャネット宣教師の話からは、道路の状態が悪すぎる事と断水の苦労が伝わってきました。
東日本大震災の直後の教会の様子を思い出しました。 13年前の「いこいの汀便り」に載っていました。 聖書には、人生設計が120年とあります。(創世記6:3) ちなみに、モーセは120歳で死を迎えますが、目はかすまず気力も衰えていなかったと記されています。(申命記34:7) ただ長生きして死ぬというのは、聖書理解としてはふさわしくなさそうです。 生きていて死んだ状態にならない為にどうするかを問答しました。 ジャネット宣教師は、能登半島地震の被災地で炊き出しのお手伝いをしました。
車の運転時間は相当長かったはず。 とにかく無事に帰ってきてね。 死の準備というと消極的なイメージですが、むしろ生の質を高めることになるみたいです。 キリストを救い主として信じるということは、キリストにあってキリストと共に死に、 キリストにあってキリストと共に生きることです。 なので、無制限の成長を追求できます。 どう生きるかという死生観がハッキリすると、今の人生を楽しむことが可能です。 問答礼拝によって、こういう理解を共有しました。 ジャネット宣教師は、今週末の能登半島地震の被災地へ向かう準備中です。
必要とされている物資の買い出し、車の車検、長距離をひとりで運転しての往復。 祈りつつ応援中🏴 聖書(律法)を知っていて、神を信じていても、それぞれの立場で特徴があるものですね。 イエス・キリストの死と復活があり、使徒たちの癒しの業が行われ、奇跡が起きたとしても、反応は様々です。 『人に従うより、神に従うべきです。』とのペテロたちの生き方は、大きな影響を与えています。 使徒の働き5章後半をじっくり味わいました。 寒暖差の大きな2月を過ごしています。
暖房を使っていますが、外に出たら『外の方が暖かい』ということがあります。 森谷牧師の著書『パラダイムの転換』の9章を読み各自の思うところを分かち合いました。福音によってキリストと共に死に、キリストと共に生きるのが信仰者なのですが、それでも死は避けられません。 ですが、積極的な人生観を持って、それぞれが今を生きていることが伝わってきました。 クリスチャンの特性が謙遜ならば、どこまでも人格は成長するのでしょう。 礼拝は10時からで、11時半にはお茶タイムになります。
その時々で、誰かの手作りおやつ等がふるまわれます。 何も無い時もありますが、ほっとするひと時です。 報告・連絡・相談が出来るので、会議は無しです。(*^-^*) 誰も避けることができない死について、旧約聖書と新約聖書では捉え方に違いがあるのでしょうか。 詩篇では、戦いのさ中にあるダビデが死からの解放を願っています。 ローマ人への手紙では、パウロがくどい程に論じています。(5章17節~6章、8:10,11、14:8) やがての日に、どれほど平安でいられるものか、今の自分の生き方が問われました。 来週までに、森谷正志著『パラダイムの転換』の第9章 人の死を突き抜ける再創造のみわざ を読んでくるのが課題です。
神のかたちとして、再創造の途上にある自分を振り返って、どんな自覚でいるかを分かち合いました。 福音の理解と聖書を読むことの必要性を確認してきましたが、持続可能な教会の為には、この理解の共有が大事なようです。 利己的な主体性では不可能なのだからこそ、イエス・キリストの身代わりがあったのです。 本来の自分の在りように変えられていくプロセスなので、失敗しても恐れずにという意識です。 年末年始を日常とは違う過ごし方をした方々には、これから精神的な休み(?)になるのかも。そして、能登半島地震の為に祈ることを申し合わせました。
ヤコブが、イスラエル人の教会へ送った手紙を読みました。 戦いや争いが起きているとありますから、驚きます。 聖霊の働きを意識しないと、こういう事は起こります。 キリストの福音を理解し信じたとして、自動的に人が変わるわけではありません。 聖霊の内住を意識して生きるようにとの勧めが、納得出来ます。 新しい年を迎えての礼拝を終えると、あられ雪のシャワーを浴びました。
聖書のことばで温まった心に、心地良い自然の恵みです。 ヨハネの福音書4章を読み、イエス・キリストが教えた人間性の回復について理解を深めました。 「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」とはイエス様のことばです。 御父に仕えることで喜びを見出すなら、真の人間性の回復につながっているのでしょう。 真の充足感を期待して、神と人に仕える生き方があります。 大晦日の礼拝だからでしょうか。
恵みが溢れました。 主体的、自覚的、意志的な分かち合いを感謝します。 |
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July 2022
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