神を礼拝するとはどういうことか?との森谷牧師の問いかけに、神について聖書から知っていく必要を覚えました。自分の考えで神をイメージしてしまいがちですが、礼拝するというのは、神がどのような存在かがわかるからなのでしょう。その理解を分かち合うのが宣教と言えます。 お客様を迎えての芋煮会。各自が与えられた物を持ち寄り、分かち合う場ともなりました。料理の才能を生かす方、音楽の才能を生かす方がいて、いつの間にか全体での賛美となりました。片付けの能力を発揮された方にも感謝します。(*^-^*)
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聖書が意図する真の喜びについて考える礼拝が続いています。今日はピリピ4章から喜びの源は何かを考え、主の宣教命令を実現する喜びは選び取るもの、という意識を持ちました。状況に左右されないもの、誰にも奪えないものという点では皆が同感でした。 台風19号で被害を受けた方々を思い、キリスト者としての考え方で実践できることは何かを思い巡らしました。東日本大震災では、他者に仕える力、自分でも想像できなかった力が湧き上がった例を思い出し、キリスト者には「喜びなさい」との聖書の勧めが必要だと確認できました。
ヨハネの福音書13章~15章を読んで、イエスの喜びとはどういうものかを考えました。楽しみと混同してしまいそうですが、違うとしたら❓イエス・キリストの意図はどういうところにあるのでしょうか。 神の栄光を現すことが自分の喜びとなるということが理解できるかどうかにありそうです。 一晩中吹き荒れる風と雨の中、いつもの礼拝が出来るかどうか危ぶんでいました。夜が明けてみると、校庭では日光浴の🐍ヘビくん、なれなれしい🐸カエルくんに迎えられ、教会には帰宅困難となったお客様がいて、ささやかな分かち合いが豊かな交わりとなりました。
13日(日)に予定していました芋煮会は、10月27日(日)に変更となりました。いつもの礼拝後に、12時位からになります。外で大鍋で作る『山形風芋煮』は森谷シェフ(牧師です)が腕をふるいます。どうぞ、お楽しみに!
四年前の秋からスタートした『アブラハムからヨセフに向かって』の取り組みがラストワンとなりました。今日はヤコブの死に対する考え方に注目しました。 絶望感で「死んだ方がまし」と言ったり、幸福感で「もう死んでもいい」と言ったり、人は死という言葉を使って気持ちを表現しやすいのでしょうか。 策略家で利益を追求するタイプのヤコブでしたが、すべてが神の摂理であったと納得して死を迎えます。理想的とも言えます。 台風から変わった低気圧が空気を入れ替えました。
秋風にたなびく雲の隙間からは太陽の光が!(゜.゜)タイミング良く『ヤコブのはしご』に出会ったり、熟したイチジクをそのままかじったりして秋を楽しんでいます。 |
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July 2022
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