人格の特性として(自分の特性を思うと)、主体性がありながらも利己的であることが明白です。
なので、教会のあり方としてローマ人への手紙を確認しました。
先行的に救いの道が用意されているのですから、自分のゆがみに気づいて新しさに生きるという福音を意識したいものです。
神の理想に向かって、主体的に歩む一年を目指します。
新しい年を迎えて、各自の思いをひとことづつ聞き合いました。 創世記1:27を読み、神のかたちと表現されている人間について確認しました。
人格の特性として(自分の特性を思うと)、主体性がありながらも利己的であることが明白です。 なので、教会のあり方としてローマ人への手紙を確認しました。 先行的に救いの道が用意されているのですから、自分のゆがみに気づいて新しさに生きるという福音を意識したいものです。 神の理想に向かって、主体的に歩む一年を目指します。
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コロサイ人への手紙を読んで、著者パウロの意図を深く考えました。 屈辱的敗北に見える十字架の死が、キリストの勝利への凱旋だったことを再考するのに、他者の意見を聞き合いました。 『救いの実感』は、キリストが必要を充分に満たす方だという聖書の約束の結果なのでしょう。 改めて、教会のかしらであるキリストにしっかりと結びつくことを意識しました。 今年最後の主日礼拝で、一年の感謝があふれました。
そして、いこいの汀教会の方向性を思い、希望もあふれました。 クリスチャンがクリスマスに考えたいことがあります。 神が人となったこと、同時に神が心の中に住んでくださること。 だとしたら、理不尽な扱いを受けた時にどう対応するものでしょうか。 クリスチャンとしての歩みの核心部分をつかみたいものです。 ホワイトエレファントというプレゼント交換に初挑戦!
自宅にある不要な物で、誰かの役に立つ新品を持ち寄りました。 クイズに正解した人がくじを引き、同じくじを持つ人がプレゼントを選べます。 クリスマスに関するクイズが難し過ぎて、三択なのに、教会関係者なのに??? 使徒の働き8章では、信者がエルサレムの教会からユダヤとサマリヤに散らされた事情が書かれています。 使徒ではなく、使徒たちから選ばれた執事のステパノやピリポ,後のパウロが登場していて、文化や宗教の壁を乗り越える最初の場面です。 やがて、全世界に広がるのですが、困難や悲劇を用いる神様の主権を感じます。 そして、サマリヤに関するルカの記述(福音書)が参考になります。 クリスマスアドベント第三週となりました。
次主日(22日)は、クリスマス礼拝、主の晩餐記念愛餐会、クリスマス祝会が行われます。 旧約聖書にある箴言は1~31章までありますが、全体を読んで考えさせられた事、注目した表現について分かち合いました。 親が子に言い聞かせるような表現がポイントみたいです。 善と悪、金持ちと貧しい者、正反対の比較が分かりやすくなっています。 知恵を得るが繰り返されています。 教訓があるのはなぜなのでしょう。 クリスチャンになったら良いわざが出来ると思われがちですが、そうではないみたいです。
新約聖書のパウロ書簡で命令されているのですから、生き方で表したいのですが、神を知っていなければ見せかけになります。絶えず聖書のことばで心を照らし続けたいと思います。 テサロニケ人への手紙第二を読んでみて、どんな事を考えてきたのかを分かち合いました。 信じている人と信じていない人の差がハッキリと出ていると気づいた方がいます。 『良い働き』という箇所は、英語の聖書では、生き生きとか喜ぶとか楽しむと表現されていると教えてくれた方がいます。 初期の教会できちっと生きている人と悪い影響を与えている人がいるのはどうしてだろうと気づいた方がいます。 最初から完成形の教会だったわけではないものの、信仰から信仰へと向かっていったので今があるのだと考えました。
厳しい言い方をしつつ愛するがポイントなのでしょう。 テサロニケ人への手紙全体を読むと、イエス・キリストの来臨を意識する内容になっていることに気づきます。 信仰を持って間もない人たちに、再臨を確認するよう勧めているのはなぜなのでしょうか。 そして、私たちはどのように意識しているのでしょうか。 キリストを身近に感じたら、生き方に影響を与えるのは確かなようです。 結婚記念日の方が美味しい物を用意され、宣教奉仕の帰りにお土産を持参された方もいて、ついついおしゃべりに花が咲きました。(*^-^*)
詩篇139篇を読み、自分の祈りとして考えました。 神の臨在から逃れることはできないと分かっていても、理想的な信仰生活が実現しているわけではありません。 そのあたりの各自の証を聞き合いました。 偽善的ではないそれぞれの意見から、霊とまことによる礼拝を意識できました。 礼拝後には、おやつタイムとおしゃべり、ついでに連絡や相談が成立し、誰とは無しに片付けが進むのがパターンです。
受け身になりがちな礼拝ですが、前もって聖書箇所を読んでくることになったので、ちょっとしたワクワク感がありました。 全体を通読して再確認したことは何か?を分かち合いました。 問いかけられたり、問いかけたりする心地良さがあります。 聖書の意図を考えて、どのように意思するかが主体的に生きることになります。 次回(11/24)は第二テサロニケを読んで新たな発見を紹介し合うことになります。
11月の第一日曜日は、いこいの汀教会の召天者記念礼拝の日です。 教会員で亡くなった方々を思い出し、教会建て上げに労されたことを偲んで、信仰者としての生き方に励みを頂いています。 2年前に亡くなった方と、20年前に亡くなった方のお墓の前で、賛美と祈りの時を持ちました。 紅葉し始めの小春日和の日でした。
老若男女20人の集まりは今年の最多記録です。 |
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