大宣教命令では、「命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。」(マタイの福音書の最後のことば)と言われていますから、何のことなのかが分かっていなければ宣教は難しいはずです。
マタイの始めから読んでいくと、山上の説教を基盤としての教えが繰り返されていて、「心の貧しい者が幸いだ」の意味を理解することが信仰のスタートになると理解できます。
5章から7章にあるような生き方をして、主の晩餐を行う宣教をしたいものです。
誰もが花、鳥、風、月の美しさに創造主を思う季節です。
その神の前に頭を下げるのが祈りでもあります。