旧約での約束が満ちた意味と、しるしを求めるユダヤ人の為の意味があるとしたら、今の時代に同じ事が起きるでしょうか。
聖霊はクリスチャンの生き方に影響を与えるのですから、意識することは大事です。(聖書の意図を分からせる)
ユダヤ人は聖霊の働きを意識しなかったのでしょうか。
使徒の働き2:1で「五旬節の日になって」と表現されているのは、「時が満ちて」と同じ意味らしく、聖霊の働きの特徴を確認出来ます。 旧約での約束が満ちた意味と、しるしを求めるユダヤ人の為の意味があるとしたら、今の時代に同じ事が起きるでしょうか。 聖霊はクリスチャンの生き方に影響を与えるのですから、意識することは大事です。(聖書の意図を分からせる) ユダヤ人は聖霊の働きを意識しなかったのでしょうか。 ♬主を待ち望むアドベント、第二のろうそく ともそう。主がなされたそのように、互いに助けよう。♩
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聖霊無しにクリスチャン生活は有り得ないのですが、聖霊をどのように意識しているかを分かち合いました。 特に、ヤコブ4:5のことばと別訳を見比べて確認し、聖霊と自分との関係を考えました。 各自の自覚が大切です。 ヨハネ14章、16章には、聖書のことばを解き明かしたり、真理に導いてくださるとあります。 クリスマスアドベントのシーズンです。
まずは🕯ロウソクを飾ります。 信仰を持ち、神のかたちの再創造の御業に預かっているとして、どういう姿勢で生きるべきかを考えました。 説教中心の礼拝では、受け身だけになりがちで、信仰の妨げになることも有り得ます。 聖書箇所を確認し、具体的な問題を挙げ、それにどう対応するかの知恵を出し合いました。 疑問点が出されることで、考えを深めることが出来ました。 考えを分かち合ったり、美味しい物を分かち合ったり、いこいのひと時でした。
聖書からは、人間のすべてについての神の主権が読み取れます。 同時に、人間には宣べ伝える責任があるという二つの真理について考えました。 今の私達には理解できないのですが、宣教についての神の主権と人間の主体的な行動の両方が共存しているのが現実です。 絶望することなく、無気力になることなく、両方を受け入れたいと思います。 賛美歌の中にイスラエル民謡がありました。物悲しい曲調です。
イスラエルとパレスチナが平和的に共存できる方法は無いのでしょうか。 祈り心で賛美しました。 マタイ28章20節でイエス・キリストが弟子たちに話した「命じておいたすべてのことを守るように教えなさい」とは何の事か?との問いかけに頭をフル回転させました。 マタイ5章の「心の貧しい者は幸いです。」から続く説教を丁寧に辿っていくと、各自の自己認識とその後の変革は、知識だけの理解では得られないと気づきます。 本当の意味でメシア(慰め主)に出会ったなら福音を伝えていけるのでしょう。 神のみことばにふれながら生きる希望、福音を知らない方にふるまいを通して気づいてもらえる希望があります。 半年以上も続いた夏が終わりました。
秋を歓迎するように、校庭にはカケスの姿が。 入れ替わる生き物の姿を眺めるのは楽しいものですね。 Ⅰコリント15章を読み、それぞれの気づきを分かち合いました。 死の現実から逃れられないわけですが、私たちの死とイエス・キリストの死では何が違うのでしょうか。 当たり前ではない『身代わりの死』を思い、福音を再確認する時となりました。 賛美歌の歌詞の為なのか、共にささげる歌声の為なのか、高い天にあこがれる秋の日でした。 いこいの汀教会員で、先に天に召された方4人を覚えての礼拝でした。
その後、納骨堂で賛美と祈りをささげました。 主体的な持ち寄りによる希望にあふれるティータイムを持ちました。 ベテランクリスチャンが若いクリスチャンに対して払う犠牲や責任は、パウロの手紙から伝わってきます。 愛が大きいゆえに傷つくこともありますが、用いられる喜びもあります。 相手の自由にまかせる。でも、無関心ではない。遠慮でもない。 そんな真摯さが理想です。 この春に誕生した小さいカエル🐸がドアの上に住み続けて、今はもう秋。
大きくなったし、ドア色に変色しちゃったし。仲間を探さなくていいのかな。 神のかたちなので、人には尊厳性があります。 その個人にとどまらない、いのちの共同体としての教会の在り様があります。 ー問題を共有して、クリスチャンの生き方を考えましたー 教会の在り様を考えると、家族の在り様に繋がります。 ーエペソ5章、6章にある夫、妻、親、子への命令について問答しましたー 共有したことを次の世代(子ども)に繋げたいと思います。 稲刈りの済んだ田んぼに目を見張りました。
切り株からこんなに新芽が伸びています。 餌となる生き物を目当てに、キジ🐦が散策しています。 信仰は個人的なことですが、教会で個人主義が強調されると、大切なことを見落としてしまいます。 パウロも分からなかったのですが、啓示を受けました。 神が明らかにすることで、初めて分かる『奥義』について確認しました。 誰かに従うとか、集会をするだけではない、互いの関係で生きる「いこいの汀教会」として「いこいの汀教会」らしさに向けて知恵を働かせています。 待ちに待った秋。活動的だったり、静かに祈ったり、語り合ったり、味わったり。
礼拝がほっとするひと時にもなっています。 |
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July 2022
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