特に思いを寄せるエピソードを分かち合いました。
そして、教会として取り組むパラダイム転換に向き合いました。
互いの思いを共有した先にあるものが答えになりそうです。
改めて、地上に母がいない人が多いことに気づきました。
誰にでも母がいて今を生きています。 特に思いを寄せるエピソードを分かち合いました。 そして、教会として取り組むパラダイム転換に向き合いました。 互いの思いを共有した先にあるものが答えになりそうです。 母の日に、母たちが用意する良き物を頂きました。
改めて、地上に母がいない人が多いことに気づきました。
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教会として取り組む宣教について考えています。 大宣教命令では、「命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。」(マタイの福音書の最後のことば)と言われていますから、何のことなのかが分かっていなければ宣教は難しいはずです。 マタイの始めから読んでいくと、山上の説教を基盤としての教えが繰り返されていて、「心の貧しい者が幸いだ」の意味を理解することが信仰のスタートになると理解できます。 5章から7章にあるような生き方をして、主の晩餐を行う宣教をしたいものです。 ゴールデンウィークを大切な人と過ごせるのは感謝なことです。
誰もが花、鳥、風、月の美しさに創造主を思う季節です。 その神の前に頭を下げるのが祈りでもあります。 教会の宣教活動について考えています。 可能性の一つとして、主の晩餐記念愛餐会の持ち方があります。 コロサイ4:5,6では、隣人に違和感のない良いわざを勧めています。 人権が軽視されていた初代教会時代に、交わりから広まったキリスト教の在りように目を向けています。 特に決めたわけでもありませんが、それぞれのタイミングで軽食を持参してくるので、礼拝後の交わりも楽しんでいます。🍵🍙🍪
自分がビジネスの現場だとしたら、神が監督しているのだから内面の悪が壊され再建されていく事業になると考えて問答しました。 エペソ2章を読んで良い行いがあらかじめ備えられていることも確認し、改造工事は辛抱することもありつつも、確実に神と人に仕える能力は増し加えられると考えました。 自分も教会も、熟練した頭領の手にゆだねます。 桜の種類によってはこれから満開を迎えるものもあり、楽しみが続きます。(*^-^*)
新年度にあたり、宣教について考えています。 分かりやすく伝えたいのですが、生き方が前提になると自覚しています。 個々人としての在りようとは別に、教会として出来ることはないものか思案中です。 一世紀(使徒の働き)の共同体の姿が気になります。 問答式礼拝。
礼拝後に自由な持ち寄りでのランチタイム。😋 過去一年の歩みを振り返り、これからの予定を確認する報告・連絡・相談の時間。 幸せな一日でした。(*^-^*) 宣教についての再確認をしています。 ローマ15章、コロサイ4:4~6を読んだ上で、個々人でできること、教会ができることを問答しました。 上から目線ではなく、機会を活かし、知恵をもってことばを発する、が実践できたらいいですね。 新年度にあたり、福音や信仰について共に考えています。 『音の春』がやってきました。
ツピー、ツピー。ホーホケキョ。チュルリーチュピ。(^^♪ ルカの福音書22章から24章全体を輪読しました。(長い!) 使徒の働き5:41、42にある弟子たちの心境を理解するためです。 いつもイエス・キリストのそばにいたのに、語られた意味を理解できなくて、自分が見えていない姿に我が身が重なります。 そして、それでも愛されたイエス・キリストに感動しました。 イースターのこの日、シュミット兄のメッセージに集中して考えることで、新たな気づきが与えられました。
そして、教会メンバーの思いやりあふれる持ち寄りで軽食を楽しみ、報告、相談の時を持ちました。 ジャネット宣教師は、キッチンカーで能登半島に向かいました。一週間守られますように🙏 死の現実は避けられないのですが、地上生涯をどう生きるのかについて問答しました。 クリスチャンのマイナスイメージやストイックさが考えをゆがめてしまいがちです。 聖書のことばを文脈で読み取るなら、再考すべき課題が浮かんできます。 いのちの交わりを実現する教会共同体の存在が宣教に繋がります。 礼拝に続けて、主の晩餐記念愛餐会を行いました。
バプテスマを受けての変化や、能登半島での支援活動の話をはさみながら、パンとぶどう液に込められた教会の在りようを再確認しました。 恐れってどういうこと?で問答がスタートしました。
どうやら恐れの無い人はいないみたいで、だからこそ神様を信頼できるのだと納得しました。 そして、恐れを感じるのは想像力が豊かだからとの解釈に発見がありました。 創造主に自分の想像力の主となっていただき、健全で創造的に働くものとなるよう願いました。 福音を理解してクリスチャン生活がスタートします。 どのような変化が起きましたか? 無条件で救われて終わり、ではないのですから、いかに自覚的に次の一歩を踏み出すかが問われています。 久しぶりの来会者も熱心に問答礼拝に参加してくださって、有意義なひと時でした。 能登半島にボランティアに行ってきたジャネット宣教師の話からは、道路の状態が悪すぎる事と断水の苦労が伝わってきました。
東日本大震災の直後の教会の様子を思い出しました。 13年前の「いこいの汀便り」に載っていました。 |
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July 2022
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